中受ブログ/塾は模試だけで合格させる!プロジェクト

中受に塾は本当に必要なのか?あえて定説に逆らい、塾は模試だけを活用するためのブログ/わが娘の小学校進学を機に、6年後は筑波大附属中学に通わせると固く決意。まずは父自ら入試問題を研究。どうなることやら。 ^^;

中受/塾選び❗ 昔と今はちがう ⁉

皆さんは、この写真がどこの駅だか、わかりますか?? 

 ヒントは正面の横断幕

そう、かの偉大なホームランバッターを讃える王貞治記念球場」のある場所です。そして、この駅前の一つのビル(ほぼ駅ビル)の中に・・・

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じゃーん! 

様々な塾がひしめいているんです。

皆さんは、この写真の中にいくつ塾を確認できますか?

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明光義塾、ユリウス、東進、東京個別、代々木個別・・・

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トーマス、プリンス進学院・・・なんていうのも見えますね。そして、なんとこのテナントの7Fにいくと、森塾がオープンの工事をしており、さらにそこに「早稲田アカデミー個別進学館」までできるという噂なんです。

1つのテナントビルの中に9つ。

まさに強豪ひしめく超激戦区という様相を呈しています。

 

「塾選び」・・・それは、子供の教育に熱心な親御さんにとっては、「学校選び」にひけを取らないほどの重大なテーマです。もちろん、私は、我が子を塾に通わせる気持ちもお金もありません。子供の学力の位置を客観的に確認するために、定評ある塾の「模擬試験」だけを受験させて合格させようという考えです。

 

しかし、かく言う、自分自身はどうだったの?というと、

中学受験の時は、東京下町の日比谷線「入谷」駅にあって、その後鶯谷に移転した「落合学院」(今はない)に通い、その後、学校の先生に勧められて、「東京標準テスト」(今はない)という、日曜に上智大学で会場テストをする塾に通塾、その後、これは今も存続している四谷大塚進学教室」に替え、そして、いっとき「落合学院」をやめて、西日暮里にある「桐杏学園」なる塾(今は小学受験の塾になったのかな)に夏期講習だけ通い、その後、「落合学院」と「四谷大塚進学教室」で受験を迎えました。

 

いやはや、正直、楽しかった思い出しかありません・・・ ^_^

これ、本当に楽しいんです。小学校以外の同年の友達ができること。様々な場所から集まるので、価値観とか流行とかが違っていて、喧嘩もあったりして。それだけで大冒険的な気持ち。それから、四谷大塚なんて、当時は毎週日曜なんだけど、会場が時々違ったりするから、地図持って電車乗ってって、本当に楽しい。終わったあと、友達と駅の立ち食いそば食べたり、一人で寄り道して、デパートのおもちゃ売り場でプラモデルみたり、文房具みたりってね。いい思い出です。落合学院は先生が良かったなあ。特に塾長の落合先生は最高でした。塾で出会った友達たちは、その後、合格した中学でもなんとなく友情が続き、高校、大学、社会人へと。疎遠にはなりますが、心のどこかでふと思い出します。そのへんは塾に通わせてくれた親に本当に感謝ですね。その頃はバブル期で親も羽ぶりが良かったですがね(苦笑)。

 

俯瞰してみると、塾も紆余曲折ありますね。

 

実は、私の時代、当時、一流中学に受験するために通う進学塾は、

1番手は、「日進」(日本進学教室)。これが最大手でした。今ではその名を聞きませんが、時々50代後半の人と話す中に出てくることがあります。懐かしくて、その言葉の響きに、涙が出てきそうになったり。自分は通ってないですが。(^_^;)

2番手は、四谷大塚。これは、当時、ベンチャーの成功例みたいな塾で、中学になった時、ビジネス誌に取り上げられていたのをわざわざ買って読みました。もともとは小学校の教頭先生が自宅で近所の子供たちを集めて教えていた塾なんです。でも、その後、それが学校にバレて問題になり(公務員の副業ですからね)、それで、なんと教頭をやめて、塾運営に専念したと。まさに安定した地位を捨てる「大博打」ですよね。だって、すでに最大手に君臨している「日進」があったわけですから。なので、そのビジネス誌には苦労話として、「しばらくは、手塩にかけた優秀な子供たちが、6年生になると、『日進』に転塾するなんてことが何年も続きました」って書いてありました。

自分は「四谷大塚」の日曜会員で、入塾テストに合格すると、バッジがもらえるんですけど、かっこよくて好きでしたね。(笑)

そして、なんと校歌ならぬ、「塾歌」があります。6年生の先輩の合格のお祝い式典みたいなのがあって、そこで歌ったのを覚えています。

♪ 風だ、光だ、明るい窓だ。

   集う仲間の学び舎だ〜。

  わたくしたちは、ぼくたちは〜、

  手と手をつ〜な〜ぎ、明るく・・・

  あ〜、四谷大塚進学教室〜。

  ジャン、ジャン、ジャーン・・・♪♪

 

当時の四谷大塚は、入塾テストの成績で、「準会員」「会員」とに分けられます。

当時から「予習シリーズ」は中学受験のバイブル的な存在で、日頃通っていた鶯谷の「落合学院」なんかも「予習シリーズ」のカリキュラムを軸にプリントでの授業と土曜テストを実施して、合格者を輩出していました。

それで、四谷大塚ですが、本家が中野にあり、なので、「中野会員」なる者が最上位、そして、次に上智大学を会場とする「四谷会員」がきて、その下が「水道橋会員」となり、さらに「拓殖大」を会場とする会員。そして準会員は「秋葉原」でした。お気づきの通り、だいたい総武線沿線なんです。

そして、そのそれぞれが、成績順に「国立Ⅰ組/Ⅱ組」、「麻布Ⅰ組/Ⅱ組」、「慶應Ⅰ組/Ⅱ組」と分かれました。Ⅰ組は午前組で、Ⅱ組が午後組です。そして、学校の偏差値序列は、当時、国立(筑駒、筑附が筆頭で、それに学芸大附属が続く)→ 麻布(御三家はこの当時3校ともほぼ並んでいて、やや麻布が抜けていました。今は開成が飛び抜けていますよね。武蔵も悪くなかった)→ 慶應(早稲田は当時中学受験できるのが早実のみで、どちらかというと勉強より野球のイメージでした)。

 

で、自分は、最初、準会員。落合学院では最上位クラスだったので、四谷大塚で会員になっていた友達からは軽く嘲笑されましたね。でも、その後、一念発起して、水道橋国立Ⅱ組→四谷慶應Ⅱ組→水道橋国立Ⅰ組→ 最後は「四谷麻布Ⅰ組」となり、それでそのまま受験を迎えました。(中野会員にはなれませんでした)

この序列は頭に沁み込んでいて、今でも「中野国立Ⅰ組」という響きに強い憧れと尊敬の念が入ってしまいます。逆に、「慶應」や「早稲田」という言葉に、世間一般とは違って頭が良くないイメージが染み込んでいます。日曜テストの結果が郵送され、そこに「週報」なるものが入っているわけですが、そこの成績優秀者の欄に名を連ねるのは、皆この「中野国立Ⅰ組」の子がほとんどなわけです。

日曜テストの問題は、準会員はAコース、会員も水道橋以下はBコース、四谷以上がCコースとなり、それぞれのレベルにより解く問題の箇所が異なります。もちろん、御三家以上を受ける子はCコースを解いていないと話にならないんです。

だから、合格して進学した中学で、僕がクラスでたまたま10番以内に入ったとき、

「◯◯君は四谷会員だったのにえらいね」

って、真剣に尊敬されたりするわけです。(笑)

 

つい思い出に浸ってしまい、長くなりました。

「塾選び!」・・・続きは次回にしたいと思います。